地方に眠る「洗練された個性」を求めて。シグマクシスから小布施町への移住と独立、そしてPEファンドへ/トパーズ・リージョナル・パートナーズ 宮田湧太様 インタビュー<前編>【BEYOND-CONSUL─元コンサルの生き方─】

BEYOND-CONSULシリーズでは、コンサルティング業界を経験した方々が、その後どのようなキャリアを歩んでいるかを追います。
新卒で株式会社シグマクシスに入社し濃密な成長環境で20代前半を過ごしたのち、退社後は独立してECサイトを立ち上げ、現在はPEファンドへ――。
きっかけは大学時代に出会った人口4,000人の集落での三方良しの酒蔵経営。地域に眠る価値に光を当てたいという思いから、5年間のコンサル経験を経て暮らしのフィールドも長野県小布施町へと移された宮田湧太様。
現在はトパーズ・リージョナル・パートナーズで、エクイティ投資を通じた地域経済の構造的課題の解決に取り組んでいます。地域経済の持続的な発展という壮大なテーマに「当事者」として向き合う日々を送っています。
前編では、幼少期から培われた「多様な人に光を当てる」価値観の原点、シグマクシスでの「自分ごと」として課題に挑むプロフェッショナリズム、そして小布施町移住と調味料ECの立ち上げ・運営する中での試行錯誤や気づきを経て、PEファンド参画に至るまでの軌跡をお聞きしました。
Index
“「洗練された個性」に光を当てる”価値観の原点は、幼少期と早稲田時代にあった
アクシス
まずは幼少期を振り返って、現在の価値観の形成に影響を与えた経験について教えていただけますか。
宮田様
印象に残っている体験のひとつが、中学受験の際に通っていた塾の先生の教えです。
その先生は中国古典にある「仁・義・礼・智・信」を重んじていて、「知識や学問に長けていても、人徳や礼儀がなければ社会に貢献することはできない」とくり返し教えてくださいました。知識はときに、誤った方向、たとえば悪意のある行動や事件に使われる危うさもある。だからこそ「思いやりのないことに知識を使ってはいけない」と。
印象的だったのは、未成年による重大事件が報じられた際に行われた社会の授業です。時事ニュースに合わせて「なぜ人を傷つけることや、法を逸脱することがいけないのか??」などのテーマでクラスでディスカッションが開催されました。ただ、正解や不正解が示される(教えられる)という雰囲気ではなく、「なぜそう思うのか?」「その背景には何があるのか?」といった問いが投げかけられ、私たちは自分なりに掘り下げて考える力を養っていったように思います。
また、思い起こせば自分が身に付けた(周囲の方々のサポートで身に付いた)知識や経験は、常に社会や周りの人々に還元していくべきものだという感覚も養われたように思います。
「自分の仕事が、世の中をどう良くすることにつながるか」を考えるようになった原点は、まさに小学校時代にあると思います。
アクシス
宮田様は今では地方に生活拠点を置かれていますが、もともとは都市部のご出身ですよね。地域への関心のきっかけを教えていただけますか。
宮田様
はい、神奈川県の横浜市で育ちました。多くの方は横浜は都会という印象をお持ちかと思いますが、私が育ったエリアには昔ながらの地域社会の雰囲気が微かに残っていました。町内会や自治会の活動があったり、地域の祭りに参加したり、農家を営むご近所さんも少なくありませんでした。完全な都会とも言えない、そんな環境でした。
当時は特に意識していませんでしたが、振り返ってみると、そうした経験が地域社会への共感の種になっていたように思います。
本格的に地域に惹かれるようになったのは、大学時代です。授業やプログラムでいろいろな地方を訪れる機会があり、そこで商売をしている人、サラリーマン、農家の方など、職業も立場も違う人たちが、それぞれ自分の仕事を通じて自然と町に貢献している姿を目の当たりにしました。「この町をみんなで良くしていこう」という空気が、ごく当たり前のようにそこにある。
幼少期に微かに触れていた地域社会の雰囲気と重なって、「ああ、こういう社会のあり方が自分は好きなのだ」と腹落ちした感覚がありました。そして、そうした地域を訪れる中で、ただ目立つとか派手だとかではなく、静かでありながら芯の通った「洗練された個性」を持つ人や事業に出会う機会も多くありました。
アクシス
「洗練された個性」というのは、どういうことでしょう?
宮田様
大学時代、いろいろな地域を訪れる中で、印象に残っている出会いがあります。とある酒造会社の社長が、酒造りだけでなく、耕作放棄地になったその地域の田んぼで酒米の栽培も始めようとされていたのです。
その地域は、人口4,000人ほどの閉じた集落でした。社長は誰も管理しなくなった田んぼを整備し、自ら酒米を育てて、酒造りまで手がけるようになっていました。「いいお米をつくれば、いいお酒ができるし、雇用も生まれる。何より、この土地の物語が詰まったお酒になる」と話していて。
その姿に、自分たちの暮らしや地域をより良くしようとする強い責任感と、美意識のようなものを感じたのです。それは、単に目立つ個性とは違って、静かでありながら芯の通った”洗練された個性”だと感じました。
しかも、この酒蔵はIWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)という海外のワインコンテストの酒部門で受賞もされていたのです。社会や地域への貢献だけではなく、酒造りそのものの品質も高いレベルにある。そうした両立こそが、私が「洗練された個性」と感じた理由だと思います。
アクシス
そうした個性のあり方に惹かれたわけですね。
宮田様
そうですね。そしてもう一つ、大学時代の経験も大きな影響を与えていると思います。私は早稲田大学に通っていて、学園祭の運営スタッフをしていました。3年生のときには副代表を務め、組織運営の立場にもなりました。当時で予算規模4,000万円弱、来場者16万人、運営組織はスタッフ600人と、あくまで非営利かつ学生なりにでしたが貴重なマネジメント経験も積むことができました。
大学2年の時の話ですが、早稲田の学園祭は規模も大きく、学生に運営が任されている分自由度も高いのです。どうしても華やかなステージや目立つ企画に注目が集まるのですが、「華やかな企画や、文字通りのメインステージの場だけが自己表現ではない」と感じていました。従来の「学園祭」の枠組みではスポットライトが当たりにくい分野や活動でも、それぞれが懸命に努力し、自分なりの高みを目指している。そういう人たちにもきちんと表現や発信の場を準備することが、自分たちの役割だと思っていました。
実際、都市計画を学んでいる研究室の方々に、学園祭の混雑解消の動線やサイン設計をお願いしたこともあります。普段は注目されにくい専門性が、実践の中で活かされる場をつくることができて、とても嬉しかったのを覚えています。
アクシス
見逃されがちな技術や努力に最大限のリスペクトを以て、一緒に進化していきたいという姿勢は、今のお仕事にも通じる価値観ですね。
宮田様
まさにそうだと思います。最初は世の中に広く知られていなくても、価値があり、ポテンシャルを秘めたものが、正しく評価されて社会に還元される。そうした循環が生まれると、関わる人すべてにとって良い状態だと思うのです。いまの仕事でも、これまで培われてきた魅力や伝統があり、もっと光り輝く可能性を秘めた企業の発展・成長に、本当に微力ながらご一緒できることを非常に嬉しく感じます。
正解のない課題に挑む面白さからコンサルへ。シグマクシスで培った「シェルパ=当事者」の精神
アクシス
新卒でシグマクシスに入社されていますが、なぜコンサルティング業界を選ばれたのでしょうか?
宮田様
学生時代、多くの時間を学園祭の運営に費やしていたのですが、その経験が大きなきっかけになりました。組織を運営する中では、混沌とした課題に対して自ら問いを立て、どう解決していくかを考える場面の連続で、まさに問題解決の積み重ねでした。そのプロセス自身や、正解のない仕事を成し遂げることに面白さを感じて、「もっと深く極めてみたい」と思うようになったのです。
正解のない課題に向き合い、考え抜いて解を出し、それを社会に実装していくという仕事のあり方に惹かれ、コンサルティングの世界に進むことを決めました。また、特定の分野に絞り切れなかったという思いもあり、若いうちからさまざまな業界やテーマに触れられる環境で経験を積みたいという気持ちも強かったです。
アクシス
その中でも、シグマクシスを選ばれた理由を教えてください。
宮田様
就職活動中に、たまたま『アグリゲーター』という本を読んだことがきっかけになりました。社会の変化に合わせて求められる人財像やキャリアの価値観が書かれた本だったのですが、その中で特に印象に残ったのが、「これからの社会では分野の境界が曖昧になり、複数の専門性を持つ人々を束ねてチームとして動かせる人財が必要になる」という考え方でした。
そうした働き方に強く惹かれましたし、自分自身もそうありたいと思ったのです。そして後から知ったのですが、その本の著者がシグマクシスのパートナーの方(現・株式会社シグマクシス 執行役員 マネージングディレクター 柴沼俊一様)だったということもあり、会社の考え方や価値観にも深く共感しました。
プロフェッショナルとしての専門性を磨きつつ、多様な領域を横断しながら社会に貢献できる人材を育てる──そうした環境がある会社であれば、自分にとって成長の機会も多いはずだと感じ、シグマクシスへの入社を決めました。
アクシス
入社後、シグマクシスではどういったプロジェクトや業務を経験されてきたのでしょうか。
宮田様
在籍期間は5年ほどでしたが、その間に非常に多くの経験をさせていただきました。
最初の1〜2年は、いわゆるトラディショナルな戦略案件に加えて、AIやディープラーニングといった最先端技術を活用したデジタルマーケティングのプロジェクトにも携わりました。また、組織論や人材課題の解決など、人に関わるテーマにも取り組む機会があり、業界・テーマともに幅広い領域を経験できた時期でした。
その後はフードテック分野に注力しました。従来のコンサルティングファームでは、大企業一社の課題解決にフォーカスすることが多いのですが、私たちのチームはクライアントの課題解決にとどまらず、「業界全体をどう良くしていくか」「業界課題をどう解決できるか」といった視点を持ち、従来のコンサルティングの枠を超えた活動を行うことをミッションとしていました。
テクノロジーを活用して業界構造や産業の姿そのものを変革していく過程で、海外の先端的なフードテック企業やスタートアップ、ベンチャーとの協働もあれば、老舗の食品メーカーと一緒に取り組むこともありました。時にはアカデミアや公共セクターの方々とも議論を交わし、クライアントと私たちコンサルタントだけでは成し得ない課題解決や未来志向のプロジェクトを進めることができました。
その一環として、日本初となるフードテックのグローバルカンファレンス「Smart Kitchen Summit Japan(SKS Japan)」の立上げとその後の運営にも携わりました。大企業だけでなく、海外のスタートアップや研究者なども一堂に会し、「食品業界はどうあるべきか」「何を解決すべきか」などを議論し、各分野の成果と未来への示唆を共有する場でした。従来のコンサルティングとは大きく異なる、非常に刺激的で学びの多い経験でした。
アクシス
シグマクシスで、キャリア観に影響を与えたものは何でしょうか。
宮田様
一番大きかったのは、「自分ごととしてお客様の課題に向き合う」というカルチャーです。シグマクシスではコンサルタントを”シェルパ”になぞらえ、お客様と共に”変革”という山を登る存在だと定義しています。単に依頼する人と応える人の関係ではなく、自分たちも当事者として一緒に挑むという姿勢ですね。
だから、何をしたら本当にクライアントのためになるのか。これは若手の立場でも常に問われました。自分のアウトプットが誰に、どのような影響を与えることができていると、クライアントや社会にとって意味があるのか、そこまで深く考えさせられる環境でした。
アクシス
なるほど。それは今にもつながっていると。
宮田様
そうですね。仕事をする以上、「自分の役割はここまでだから」で終わりにしない。最後の最後にゴールに到達するまで、どうやりきるかを考えるようになりました。その習慣が根付いたのは本当に大きいと思いますし、今でもとても大切にしています。

写真提供:株式会社シグマクシス
「地域の食品産業の発展に貢献したい。」小布施町への移住・独立、そして事業の模索
アクシス
シグマクシスに約5年間在籍されるなか、卒業しようと思われたきっかけを教えていただけますか。
宮田様
入社して4年半ほど経った頃、自分の中で少しずつ変化がありました。
最初の数年間は、仕事の基本動作を必死に身につけ、アサインされたプロジェクトをきちんとデリバリーすることに精一杯でした。それが、クライアントプロジェクトに加えて、SKS Japanの企画運営など様々な活動に携わる中で、視野が広がっていったのです。
ただ目の前の課題を解くだけではなく、「自分は社会の中でどのような役割を担いたいのか」「自分の仕事は最終的に社会にどうつながっていくのか」を考えるようになりました。ようやく、それを言葉にできるようになった時期でもありました。
そのとき心に浮かんだのが、日本の地域の食品産業でした。
日本の食産業のこれからを考えると、中堅・中小企業が支えている地域の食文化や製品には、海外でも勝負し得る光り輝く魅力が詰まっています。大企業には大企業の強さや仕組みがありますが、地域に根ざした唯一無二の価値を持つ中堅・中小企業こそ、もっと経済的に正しく評価される姿に進化できるのではないか、と考えていました。テクノロジーやデータを活用すれば、これまでコスト的に難しかったことも実現できるようになりつつあり、「規模の大きさ」だけではない新しい勝ち方も生まれてきていました。
そうした中堅・中小企業の存在感がもっと引き出されれば、日本の食品産業は世界にも通用するのではないか。そう思うようになったのです。
では、なぜ私は日本の食産業のこうした側面に惹かれたのか。振り返ってみると、洗練されたユニークネスを持つものや人であふれる社会というのが、自分は好きなのだと思います。大都会でありながら地域社会の面影が残っていた横浜で幼少期を過ごしたこと、学生時代に地方の酒蔵や多様な人々と出会い、早稲田の学園祭でひたむきに高みを目指す人たちが輝くステージを作ろうとした経験。そうした経験の積み重ねから、「洗練された個性」に共感する感性が養われたように思います。
もちろん、シグマクシスに残るという選択肢もありました。実際、とても素晴らしい会社でしたし、尊敬できる同僚、先輩、後輩と、良い仲間にも恵まれていました。自分のチームに閉じず、社内外の様々な分野のプロフェッショナルと協働しながら、未来を議論し、実際に形作っていく仕事は非常にエキサイティングで、成長し続けられる環境でもありました。
ただ、そうした刺激的で充実した環境にいるからこそ、ふと気づいたことがありました。エキサイティングな仕事が次々と舞い込んでくる中で、「自分はどうしたいのか」「どんな社会を実現したいのか」という根源的な問いに対して、組織や諸先輩方の活躍を享受するのではなく、自分自身で能動的に向き合うべきフェーズになってきたのではないか、と。
会社という器があり、仲間がいて、仕事がある。それは本当に恵まれた環境です。しかし、だからこそ、自分をゼロの立場に置き直してみたかったのです。所属や肩書がなくなったときに、自分の中から自律的に湧き上がってくる熱量とは何か。本当にチャレンジし続けたいテーマとは何か。それを突き詰めたい。そう思って、シグマクシスを卒業することを決意しました。
アクシス
その後、長野県小布施町に移住されるわけですが、その背景を教えていただけますか。
宮田様
幼少期に横浜の地域社会の雰囲気に微かに触れ、大学時代には様々な地方を訪れて地域づくりの共同体に触れました。人口4,000人の集落で酒造りと酒米栽培を一体で手がける社長との出会いや、早稲田の学園祭で目立たないけれど高みを目指す人たちに光を当てようとした経験。そうした積み重ねが、「洗練された個性を持つ人や事業に携わりたい」「経済的にもより良く評価される社会をつくりたい」という思いにつながっていました。
そこでシグマクシスを卒業したときに取り組もうと思ったのが、地域の食品、中でも調味料をECサイトで販売することです。
地域の食品には、単なる「食べ物」以上の文化的な価値があります。それぞれの土地の文化や歴史が反映されていて、暮らしの中で食の楽しみを広げてくれる。特に調味料は面白い領域だと思いました。醤油やソースひとつとっても、地域ごとに配合や製法が独自に発展していて、長い試行錯誤の末に洗練されてきた背景があります。そんな奥深さに惹かれて、「地域の調味料が文化・経済の両面で持続的な産業になるにはどうすればよいのだろうか」と考えていました。
ちょうど同じタイミングで、妻もシグマクシスを卒業し、次のキャリアとして長野県小布施町の図書館館長に就任することが決まりました。私自身も地域の産業や企業に関心を持っていたので、「これは偶然ではなく、面白い縁かもしれない」と感じ、暮らしの拠点は小布施町に移すことを決めたのです。
アクシス
実際にコンサルを離れてゼロから始めるとなると、最初の一歩は多くの人にとって一番難しいところだと思います。宮田様は何から始めて、どのように進めていったのでしょうか?
宮田様
最初はほとんどの時間を生活者のニーズ調査にあてていました。本当に質素で簡素な最低限のサイトを作って、実際にWeb広告を回して購入いただいた方になぜ購入いただいたかをインタビューするということを繰り返していました。前職で食品産業には触れていましたが、ゼロからモノを売るということ、また中堅・中小企業の商習慣も少し異なる世界なので、それらを理解したり、小さなテストを繰り返すことに時間を使っていました。
また、小布施町に移住したご縁でさまざまな方から声をかけていただき、町づくりに関わる仕事もしていました。小布施町での関係に限らず、個人的な伝手からコンサルティングワークを依頼いただくこともありました。
アクシス
ECサイトはすべてゼロからご自身で?
宮田様
一部デザイン等は外部にお願いしましたが、スクラップ&ビルドでとにかくお金と手間を掛けずに作り、想定するターゲット像にどんどん触れてもらうことが大切と思い基本的にはサイトの構築や導線設計、マーケティングのコピーライティングまで一貫して自分で行っていました。商品も既存商品ではなく、大きさ・容量やパッケージを少しカスタマイズしていたのですが、どういったプロセスであれば仕入れ先企業のオペレーションの負担にならないかなども設計していました。
アクシス
実際にECサイトを運営するなかで、工場を訪問されたと伺いました。そこで地域企業の課題を感じられた部分はありますか?
宮田様
はい。たとえば調味料のサイズ変更など、細かいニーズには応えてもらいにくいと思っていました。ラインの切り替えや仕様変更が必要になるので負担が大きいのではと。しかし実際に訪問してみると、意外にも柔軟に対応してくださる企業が多かったんです。
その背景には、中堅・中小企業の多くが小規模生産で、いまも手作業が残っているという実態があります。だからこそ細やかな注文に応えられる一方で、経済合理性の観点では不利になってしまう。コスト効率という観点も然ることながら人口減が進むなかで、そもそも働き手を確保することが今後益々難しくなっていく中で、これまでと同じ採算・体制で継続的に操業を続けていくことに多くの課題が存在するなと、工場を見学するなかで感じました。
外側からではなく、経営の内部に共に参画する。PEファンドで地域経済の発展に挑む
アクシス
ご自身でビジネスをされていた中、そこからどう動かれたのでしょうか。
宮田様
EC事業はテストを重ねて、購入いただいたお客様からの反応に手ごたえあり、購入率などの数値面も伸ばしていける期待が持てました。他方、それまで自己資金でやっていましたが、しっかりとした事業にしていくためには資金調達をする必要を感じていました。
当時はその覚悟を決め切れずに、また外部のECサイトの成長が本当に家族経営のような小さなメーカーの経営に貢献できるのかも信じ切れずにリスクテイク出来ませんでしたが、その際に改めてどうしたら食品業界をはじめ、地域経済や中小企業の発展に貢献できるのかを考えました。
自社でECチャネルの整備やWebマーケティングまで手が回らない企業の売上貢献ができればと思い始めましたが、調味料工場を回って話を聞く中で、原料高騰や人口減や地域経済の縮小、人材不足、また省力化やデジタル化のための投資余力もないといった、企業活動全体での構造的な課題が根源にあると痛感しました。小さな企業が単独で立ち行くのは難しく、同業や商流の前後などで複数社が連携したり、業界全体の仕組みを見直す必要があると感じました。
そのとき、プライベートエクイティファンドという存在を改めて知りました。もともと大企業向を投資の対象としているイメージでしたが、近年は中堅・中小企業にも資本参画の機会が広がりつつあり、この仕組みなら地域産業の課題解決に本質的に取り組めるのではないかと強く感じました。
アクシス
ECビジネスからファンドというのは一見大きな転換に見えます。数ある選択肢の中で、なぜトパーズ・リージョナル・パートナーズに惹かれたのでしょうか?
宮田様
地域の経済や企業をどう良くしていくかに関心がありましたが、中小企業には外部人材やコンサルティングチームを起用して挑戦する経済的・時間的な余力が乏しいのが現実です。だからこそ、資本と共に専門性を持つ人材やチームが経営の内側に入り、会社や業界を一緒に変えていく仕組みが不可欠だと思っていました。
トパーズ・リージョナル・パートナーズの運営するファンドは、地方銀行が主要投資家として参画しており、ファンドの存在意義そのものに「地域貢献」が組み込まれています。実際にパートナーや社員の方々と話してみても、本気で日本の地域経済を良くしたいという熱量に圧倒されました。しっかりとファンドリターンを投資家の皆様にお返しすることは勿論、投資活動の中心に地域社会への貢献を軸に据えているファンドなら、自分がやりたいこととも一致する。そう確信して、門を叩きました。
※後編では、PEファンドに転職されて感じたコンサルとの違い、PEファンドが地域経済の発展において果たす役割、小布施町に移住して変化したビジネス観や人生観、今後10年を見据えた宮田様のキャリアプランなどについてお聞きしています。
https://www.axc.ne.jp/insights/article/beyondconsul/9091/


