なぜ今、ビジネスにアートなのか──虚数的発想・分からなさ・人間性【EDGE】

なぜ今、ビジネスにアートなのか──虚数的発想・分からなさ・人間性【EDGE】

前編では、NRIアート部という社内コミュニティが、業務でも評価でもない場所で、どのように人と人をつなぎ 「自分は何者なのか」を語る余白をつくってきたのかを見てきた。

では次に問いたいのは、なぜ、そこに「アート」だったのかということだ。効率、再現性、正解が求められるビジネスの世界で、分からなさを抱え、答えを急がない営みは、本当に必要なのか。

後編では、野村総合研究所でアート部を立ち上げ、また普段はエキスパートテクニカルエンジニアとして活動する花崎徹治氏が長年考え続けてきた「虚数的発想」「自由と制約」「分からなさ」「AI時代の人間性」について、その思考の奥行きを、対話を通して掘り下げていく。

【EDGEについて】
ビジネスの最前線にいるプロフェッショナルでさえ、その輪郭を捉えきれていない──。EDGEでは、まだ言語化されていない「知」に光を当てる。既存のフレームワークでは説明しきれない思考、従来のビジネス文脈では見過ごされてきた視点。そうした「これから重要になる何か」の正体。

前編はこちら:
アート部はなぜ生まれ、何を変えたのか──NRIアート部という「社内サードプレイス」の実験

論理が行き詰まるとき、もう1本の補助線を引く

金澤
ここからは、ビジネスとアートの境界にある思考について伺いたいと思います。花崎さんはコラム「AI時代に向き合うための数字」で、「虚数的な発想」という言葉を使われていました。エンジニアリングの実務の中で、直線的・論理的なアプローチでは足りないと感じた場面はありますか。

花崎様
「この場面で虚数的発想が役に立った」と、分かりやすく説明できる話ではないんですが(笑)。そもそも虚数というのは、本来は存在しない数字ですよね。ただ、数学の世界では、インプットからアウトプットを導くために、虚数という軸を1つ加えることで、驚くほど速やかに解が得られることがある。

実数だけを積み上げて考えていると行き詰まる問題でも、「ここにもう1本、別の軸を引いてみる」ことで、一気に視界が開ける。ビジネスでも同じで、フレームワークやロジックをどれだけ積み上げても解けない場面があります。

そういうときに、直線的な延長ではなく虚数のような発想。つまり今までとは異なる次元の補助線を引くことが大事なのではないかという話です。

金澤
もう少し、具体的に教えていただけますか。

花崎様
私の中で、そのイメージに近いのが、札幌のモエレ沼公園や、香川のイサム・ノグチ庭園美術館にある《エナジー・ヴォイド(虚空)》という作品です。

17トンほどの黒い大理石で、大きな円を描いているのですが、その中心には、何もない空白がある。この作品の主役は、実は「石」ではなく、その空白そのものなんです。

金澤
「無」をつくっていると。

花崎様
そうです。重くて確かに存在する石を使って、「存在しないもの」を表現している。これは、「見えないものを見えるようにする」こと、「分からないものを、考え続けられる形で差し出す」ことで、私がイメージする虚数的な表現そのものだと思っています。

この感覚は、ビジネスの世界でも非常に重要だと思っています。

たとえば、NRIの前社長・此本臣吾が著した『デジタル資本主義』では、GDPでは測れない価値について触れられています。スマートフォン1つで多くのことができる今、かけたコストに対する満足度は、実は見えないところで大きくなっているのではないか、と。

それを「消費者余剰」と呼び、 彼はそこに虚数の「i(アイ)」という記号を付けた。論理(実数)では測れないけれど、確かに存在している価値。それを無視せず、どうにか扱おうとする姿勢そのものが、私にとっては虚数的な発想の象徴でした。

つまり、「ないものを補うための発想」は、論理的思考や既存のアイデアをいくら積み上げても、簡単にはたどり着けない。誰も思いつかなかった場所に行くためには、数学だけでなく、アートや本、人との出会いなど、いろんなものに触れて、思考の軸そのものを増やしていく必要があると思っています。

たとえば、アレックス・バナヤンの『The Third Door(サードドア)』も、私にとっては虚数的発想の好例です。彼は18歳のとき、ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツ、レディ・ガガに会うために、正面玄関でも裏口でもない「第三の扉」を探し続けた。

積み上げて考えていくと、どうしてもテクニックやノウハウに陥ってしまうけれど、誰も思いつかなかったルートを選ぶという発想そのものが、私の言う「虚数的な発想」なのだと思っています。

花崎様

※参考:「AI時代に向き合うための数字」
https://www.nri.com/content/900035050.pdf

自由は制約から生まれ、制約が強度を宿す

金澤
ここまで伺っていると、虚数的な発想という話が、単なるアイデアの出し方ではなく、「制約の中でどう振る舞えるか」という意味での自由の話にもつながっているように感じます。

花崎様
まさにそうですね。私が大きな影響を受けたのが、哲学者ダニエル・デネットの著書『自由は進化する』です。日本語版は、かつて同じ会社の先輩でもあった山形浩生さんによる翻訳です。彼は、自由とは「シミュレーションである」と。つまり、自由とは何でもできる状態ではなくて、与えられた制約や条件の中で、先を考えながらどう振る舞えるか、ということなんです。

たとえば、一銭も持たずに砂漠に放り出されて「自由にしていいよ」と言われても、そこに自由はないですよね。

金澤
選択肢がなさすぎると、かえって身動きが取れなくなる。

花崎様
そうなんです。制約があるからこそ、自由は立ち上がる。これはアートの世界でも同じで、たとえば画家の小林正人さんは、キャンバスを張りながら、手で絵を描くんですね。四角いキャンバスという制約があるにもかかわらず、いや、あるからこそ、その枠そのものをゆがめたり、壊したりしながら描いていく。

制約があるから、「そこをどう突破するか」という意思が生まれて、作品に圧倒的な「強度」が宿る。

金澤
制約を消すのではなく、制約と格闘することで自由が生まれると。

花崎様
会社員もまったく同じだと思っています。理不尽な制約や、思い通りにいかないことは多いですよね。数字が伸びない、なかなかプロモーションされない、努力が評価につながらない。でも、それ自体を「不幸」や「失敗」と捉える必要はないと思っていて。むしろ、その苦労や制約があるからこそ、あとで必ず人生のどこかで効いてくる。

金澤
何も考えずにいると、「自分は恵まれていない」と不満になりがちですが、制約を「自分を強化するための枠組み」として捉え直すと、見え方が変わりますね。

花崎様
そうなんです。だから私は「謙虚であること」がすごく大事だと思っています。新しいことを学ぶと、「自分はまだ知らないことがこんなにあるんだ」と気づかされる。その気づきがあると、人や仕事に対する解像度が上がるし、結果として、人としても、仕事としても伸びていく。

ちなみに、ビジネスとアートは、直接的に結びつくものではないかもしれない。でも、ビジネスパーソンこそ、アートに触れるべきだと私は思っているんです。

AI時代に求められるのは「分からなさ」への対峙

金澤
それは、どういうことでしょうか。なぜ花崎さんは、ビジネスパーソンにとって「アートに触れること」が重要だと考えているのでしょうか。

花崎様
たとえば現代アートを見たときに、「私には分からない」と言う人は多いですよね。
少し意地悪な言い方をすると、「じゃあ、何だったら分かるんですか?」と聞きたくなることもあります。

人は長く生きていると世の中のことをなんとなく「分かった気」になってしまう。でも、本当は世界はずっと分からないことだらけなんですよね。だから私は、分からなさを持てること自体が、実は幸せなんじゃないかと思っています。アートは、その「分からなさ」に正面から向き合うためのツールなんじゃないか、と。

金澤
アートを見ることで、普段とはまったく別の方向からヒントを得られることもありそうですね。

花崎様

花崎様
そうですね。以前、柳澤紀子さんというアーティストのトークイベントに参加したことがあります。彼女は80年以上生きて、今も現役で制作を続けている方なんですが、その場で「何回見てもなかなかわからないけど、また見たくなるような仕事がしたい」と話されていたのがとても印象的でした。その謙虚さや、学び続ける意欲、好奇心には、本当に驚かされました。分からないからといって切り捨てるのではなく、わからないものに対峙し続ける。その身体感覚や考え方は、これからますます大事になってくると思います。

金澤
それは、AIにも通じる話だと感じました。企業にAIが導入されても、なかなか浸透しないという話はよく聞きますし、結局のところ「知らないものにどう向き合うか」が試されているのかもしれません。

花崎様
その通りだと思います。個人的には、AIをめぐっては今後、二極化が進んでいくと感じています。AIに任せきりになって、自分の世界がどんどん狭くなっていく人もいれば、AIを使いながら、自分の思考や可能性を広げていく人もいる。

でも、AIは想像力以上のことはできない。結局、どう使うかは、人間側の想像力次第なんです。だからこそ、使う側の人間性が、とても重要になってくると思っています。

量と経験から生まれたセンスは、論理の積み上げ以上に強固

金澤
今「AI」というワードが登場しましたが、花崎さんはAI時代、人間に求められる力は何だと思われますか。

花崎様
私個人の考えですが、これからは「知」「スキル」「フレームワーク」と並んで、「センス」が絶対に重要になると思っています。

ここで言うセンスは、おしゃれや感覚的な話ではありません。判断する力のことです。センスがいい人というのは、判断の土台となる経験や知識がしっかり積み上がっていて、状況を見た瞬間に、ある程度のジャッジメントができる人だと思っています。

よく、論理と直感は対立するものだと言われますが、私はそうは考えていません。直感とは、経験とインプットが身体化された論理です。たとえばシステムを運用していて障害が起きたとき、ロジックを一つひとつ積み上げる前に、「これはまずい」と直感的に検知できることがありますよね。

あれは職人的なセンスであり、量と経験を重ねた結果として身につくものです。その意味では、量と経験から生まれた直感は、論理の積み上げ以上に強固な論理だと思っています。だからこそ、センスを磨いていくことが大事になる。そのためには、本を読み、アート作品に触れ、さまざまな人と話すなど、できるだけ多くのものに触れていく必要があります。

会社の中で与えられた仕事や研修を、ただこなしているだけでは、センスは絶対に鍛えられません。そして、そこで身についた感覚は、その会社の中でしか通用しないものになりがちです。

金澤
自分が所属している組織だけで完結せず、外に出てインプットを増やし、文化の違いに触れることが大事になりますね。

花崎様
そうですね。終身雇用や年功序列が崩れつつある今、厳しい言い方になりますが、自分たちで学び続けなければならない時代だと思っています。

VUCAの時代は、誰も正解を持っていない。そういう意味では、みんな同じスタートラインに立っています。だからこそ、今からでも学ぶ情熱と好奇心、そして継続する力があれば、 一気に状況を変えることだってできるはずです。

……まあ、「じゃあ自分はどうなんだ」と思いながら話しているところもあるんですが(笑)。それでも、今あまり自信が持てていない人には、そう伝えたいですね。

花崎様

企業とアートのこれから、思いを受け継ぐという仕事

金澤
ここまでのお話を通して、花崎さんが単なるプロジェクトとしてではなく、1つの思想としてアートとビジネスに向き合われていることが印象的でした。
そうした中で、花崎さんご自身がこれからどんな挑戦をしていきたいのか、とても興味があります。
花崎さんは「思いを受け継ぐための団体をつくりたい」とお話しされていますが、その背景には、どんな問題意識があるのでしょうか。

花崎様
経済産業省が主催する「企業が保有している美術作品の価値ある活用」に向けた実証事業に関わる中で、多くの日本企業の現状を見る機会がありました。

すごくシンプルな話なんですけど、日本企業の中にはアートを所有していても、自分たちがなぜそのアートを持っているのかが十分に共有されていないケースもあると感じています。たとえば本社に所蔵品があったとしても、「どの部署が、いつ、どんな意図で購入したのか」「なぜその作品が選ばれたのか」そういう情報が、ほとんど残っていないことが多い。

実際には、総務の方がExcelで管理して、倉庫にしまわれているだけ、というケースも珍しくありません。

金澤
作品そのものは存在していても、背景のストーリーが失われている。

花崎様
そうです。そうなると、何が起きるかというと、本当に大事なものほど簡単に手放されてしまうんですよね。建築でも、アートでも、「なぜそれがそこにあるのか」が共有されていないと、収支や効率の論理だけで判断され、結果的に取り壊されたり、処分されたりしてしまう。

それは合理的な判断ではあるんですが、同時に、企業が積み重ねてきた記憶や思想が、静かに消えていくプロセスでもあると思っています。

金澤
それを防ぐために、「団体」という構想が出てくるわけですね。

花崎様
はい。ヒントになっているのが、JUAS(日本情報システム・ユーザー協会)です。システムの世界も、実はアートと似ていて、秘匿性が高く、基本的には外に出せない情報ばかりです。

それでもJUASでは、会員同士というクローズドな前提の中で、「自社ではこういう構成で、こういう課題があって、こう運用している」という情報交換が行われている。
私は、企業とアートの関係にも、同じような場が必要だと思っています。

金澤
具体的には、どのような情報を共有するイメージでしょうか。

花崎様
たとえば、会社の中で、どの部署がアートを購入しているのか
どの部署が管理を担っているのか
どのような作品を、どんな意図で所蔵しているのか

こうした情報は、秘匿性が高く、表には出ません。でも、同じ立場の企業同士であれば、共有できる知見はたくさんあるはずなんです。「アートをどう事業に活かすか」ではなく、「どうやって思いを引き継ぎ、残していくか」。そのための情報交換ができるコミュニティを、企業とアートの間につくりたいですね。一社だけでは難しいことも、横のつながりがあれば、きっと変えられると信じています。

花崎徹治 様 株式会社野村総合研究所

株式会社野村総合研究所 エキスパートテクニカルエンジニア。2002年入社以来、ITインフラの設計・運用・監査を担い、社会基盤を支える仕事に25年以上従事。コロナ禍を機に2020年、社内クラブ活動「NRIアート部」を立ち上げ、現在100名超が在籍する。「アートを通じて人生を豊かにする」をモットーに、部署や役職を越えたフラットなコミュニティを運営。

Writer 著者情報

金澤 優香
アクシスコンサルティング株式会社

大学では心理学を専攻し、学びを深めるためイギリスの大学への留学も経験。卒業後は大手住宅メーカーで営業職に従事し、その後はアパレルメーカーで新規事業の立ち上げにも携わった。現在はアクシスコンサルティングでAXIS Insightsの運営を担当。人のキャリアや生き方、その背景にある価値観に関心を持ち、企画や発信を通じて多様な選択のあり方を届けている。プライベートでは犬を飼っており、サウナとゴルフが好き。

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