投資銀行の歴史を黎明期から現代まで一気に紹介【盛衰から見る今後の課題や展望】

the history of investment banking

現代の投資銀行業が発展したのは19世紀後半から20世紀初頭の頃です。米国の経済発展のなかで、融資ではない直接金融による資金調達が普及したことが背景にあります。

今回の記事では、投資銀行の歴史を黎明期から近年の動きまで紹介していきます。投資銀行への就職・転職を検討している人は、基礎知識の一つとしておさえておきましょう。

【目次】

  1. 投資銀行の歴史・黎明期
  2. 世界恐慌を繰り返さないための銀行・証券の分離
  3. 20世紀中盤の投資銀行専業ビジネスの発展
  4. グラス・スティーガル法の廃止による総合金融グループの発展
  5. 金融の規制緩和と低金利がリーマンショックへ
  6. リーマンショックと金融規制の強化
  7. 歴史に見る投資銀行のリスクと将来性
  8. 投資銀行の歴史から得た教訓をビジネスに活かしていこう

①投資銀行の歴史・黎明期

銀行業の原型を「お金を貸し借りすること」と捉えるならば、紀元前から存在しましたが、銀行が現代のようにビジネスの一つとして確立したのは中世のイタリアです。イタリアの各都市や海上貿易が発展する中で、商人相手に両替を行う「Banco(机)」という業務が生じました。これが銀行という単語の由来とされています。

その後「投資銀行」というビジネスは、銀行業から分離する形で19世紀後半〜20世紀初頭の欧米にて発展しました。欧州では産業革命後の企業体の発展に伴い、資金調達ニーズが大型化したこと、さらに帝国主義の中で国同士の戦争とその後の賠償という流れが増加したことで、戦費と賠償金の調達ニーズが発生したことなどがきっかけとなりました。

特に欧州で有数の富豪となるロスチャイルド家は、融資では普仏戦争の賠償金の融資や英国政府のスエズ運河買収の資金融通などを行いました。また、パリで総合水道会社を設立し5000株を引受けて大株主となるなど、直接金融でも頭角を表し、投資銀行ビジネスを発展させていきました。

米国でもモルガン家などの富豪が金融ビジネスを拡大、多様化させたことが投資銀行の発展の契機となっています。南北戦争が終結したのちに企業の発展・大型化が進行し、それに伴い資金調達ニーズが拡大。さらに、欧州が帝国主義に伴う戦争からやがて第一次世界大戦にかけて疲弊していく中で、米国の企業が急速に発展していくことになります。

まだ米国の中央銀行の役割を果たすFRBがない、もしくは未成熟ななか(FRBの初代議長が任命されて、組織として整ったのは1914年)モルガン家は企業への融資や国債の引き受け、IPOやM&Aなどの業務を手掛けていきました。米国では国内の鉄道業の発展、海外の新興市場の開拓と表裏一体となって投資銀行ビジネスが発展していったのです。

②世界恐慌を繰り返さないための銀行・証券の分離

20世紀に入ると、投資銀行の業務は多様化し、企業のM&A、株式公開、債券発行などに関する業務が中心に。前述のように銀行ビジネスの延長線上で投資銀行ビジネスに乗り出した金融機関がある一方で、ゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズのような証券業をメインビジネスとする投資銀行も急速に発展しています。

米国では企業の規模が急拡大する中で、株式など直接金融による資金調達規模も拡大。企業・市民とも米国の経済成長をうまく捉えた一部の層が資金を蓄える中で、有価証券投資がブームのように広がります。これが社会格差の拡大や企業の実態と株式などの資産価格が乖離したバブルのような状態を生み出すことに。やがてバブルが弾けると、投資家や企業が大きな損失を出します。こうした動きが広がり1930年には「世界恐慌」と呼ばれる深刻な不況に陥ります。

世界恐慌において、米国株は80%以上の下落を記録しました。世界が経済危機に陥り、各国を第二次世界大戦へ駆り立てる原因の一つともなりました。一方、銀行と投資銀行が融合・巨大化した状態が世界恐慌を引き起こした原因となったとの考えから、米国では1933年にグラス・スティーガル法が制定されます。

同法では、融資を主体とする商業銀行と証券・投資銀行ビジネスを互いに分離することを定めました。間接金融と直接金融を同時に行うことによる利益相反や極端な融資・資金供給の巨大化を防ぐ狙いがあったのです。

同法が成立したのち、1999年に同法の主要な部分が廃止されるまで、投資銀行ビジネスはもっぱら大手の証券会社が担うビジネスとなりました。

モルガン家はグラス・スティーガル法に対応するために、商業銀行大手のJPモルガンの証券・投資銀行を分離して「モルガン・スタンレー」が設立されました。また、その後大手投資銀行の一角として成長していくことになる「ベアスターンズ」が設立、発展したのもこの頃です。

③20世紀中盤の投資銀行専業ビジネスの発展

グラス・スティーガル法が成立したあとは、投資銀行は商業銀行と離れて発展していきます。融資による金利収入を得られなくなった投資銀行のビジネスは、高額な手数料収入が期待できる領域でビジネスが発展していきます。

その点で、特に投資銀行の発展の原動力となったのはM&Aビジネスです。M&Aは20世紀初頭から企業の成長や事業再生などにおけるツールとして普及しました。実行時に多額な資金調達を伴うため、投資銀行にとって多額の収益機会となります。

グラス・スティーガル法以前からM&Aは投資銀行の重要なビジネス機会となっていましたが、同法の成立以降は、M&A→資金調達のビジネス機会を能動的に獲得していく動きが進みます。やがて現代の投資銀行ビジネスの花形の一つである「M&Aアドバイザリー」が発展していくことになります。

一方で、債券・株式の資金調達やIPOビジネスもまた投資銀行の主力ビジネスです。1960年代には米国企業のコングロマリット化や多国籍化が進む中、直接金融を活用した多額の資金調達が重要な役割を果たしたのです。しかし、その後1970年代に入ると風向きが変わり、米国の証券・投資銀行業界は淘汰の波にさらされます。

その中で、モルガン・スタンレー、ソロモン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックスとメリルリンチなど、規模の大きい投資銀行への再編・集約が進み、大手の投資銀行は「バルジ・ブラケット」とも呼ばれるようになっていきました。

ビジネス機会としては前述のM&Aアドバイザリーに伴う収益の拡大が進むほか、いくつかの新たなビジネスの拡大もみられました。

一つは格付けの低い企業の社債「ジャンク・ボンド(またはハイイールド・ボンド)」の発行拡大です。これらの企業は銀行融資での調達が大手企業より難しかったり、融資条件が悪かったりするため、直接金融で資金調達ができることに。投資家はより利回りの高い債券への投資機会が増え、投資銀行も手数料収益を得る余地が広がることになります。

もう一つは1970年代に普及したデリバティブ取引です。1972年にシカゴ・マーカンタイル取引所で通貨の先物取引が始まり、その後債券や株式指数の先物取引も普及していきます。取引所を介さないデリバティブでは金利の支払条件を交換するスワップ取引も1980年ごろから発展します。

投資銀行は機関投資家との取引や自身が保有するポジションの多様化など、さまざまな形でデリバティブを盛んに使い、ビジネスの拡大を図っていきました。

④グラス・スティーガル法の廃止による総合金融グループの発展

1980年代になると、さまざまな産業において規制を緩める産業自由化の流れがアメリカで進展します。その中で銀行と証券の分離を求めるグラス・スティーガル法についても、両者を分離することが金融ビジネス発展の妨げとなるとの見方から、廃止を求める声が強まります。

1930年代と異なり、預金保護制度によって一定の規模までの預金者が保護される仕組みが構築されているため、深刻な危機を引き起こすリスクが低いとの見方も廃止を後押ししました。

結局1999年に、一定の条件のもと銀行と証券ビジネスを一つの会社組織で運営できるようになり、2000年代の総合金融グループの発展の契機となりました。米国では買収や合併などを通じてJPモルガンチェース、バンク・オブ・アメリカ、シティグループなどが商業銀行と投資銀行ビジネスをともに営むようになります。

なお、欧州でもこの流れに追随して、クレディ・スイス、ドイツ銀行、UBS、バークレイズなどの大手銀行が投資銀行ビジネスを発展させていきます。

さてビジネスの方では、企業のグローバル化が進む一方でコングロマリット型の企業からの巻き戻しによる事業分割なども行われるようになり、合併、分割双方においてM&Aが盛んに活用される形に。その中で投資銀行では、LBOと呼ばれる買収対象の事業を担保に負債調達を行なって買収を進める手法を盛んに手がけるようになります。

相対的に自己資金を使わずにM&Aを実行できるLBOは、M&Aニーズが高まる中で有効な手段の一つとして盛んに活用されるようになりました。またLBOは負債調達のディールが発生するため、投資銀行ビジネスと相性の良い手法とも言えます。

銀行と統合すれば、M&Aの買い手は融資と直接金融を組み合わせて効率的な資金調達が可能となるため、グラス・スティーガル法の廃止によって、さらに拡大したビジネスともいえるでしょう。

⑤金融の規制緩和と低金利がリーマンショックへ

グラス・スティーガル法の廃止により、銀行が投資銀行ビジネスに参入すると、過当競争により投資銀行のフィーは段階的に低減していくことになります。銀行の潤沢な資金が流入する中で一取引あたりの収益が減少するなか、大手の投資銀行はバランスシートを肥大化させ、レバレッジを高める(負債を多く抱えて純資産に比して総資産が大きな状態)ことで収益拡大を狙います。

ちょうどその折2001年にITバブルが崩壊。不景気を下支えするため、米国を中心に利下げなどの金融緩和が進められました。緩和的な金融環境の中で、金融機関は資金調達が容易となり、さらに高レバレッジなビジネスを積極的に進める形となります。同時に金利低下の中で住宅ローン金利が引き下げられ、資金力や信用力のない人が住宅ローンをより組みやすい状態となりました。

そのような中で普及したのが住宅ローンを裏付けとした証券化商品です。ここまで紹介したようなビジネス環境の中で、大手の投資銀行は証券化商品を積極的に組成し、同時に投資・保有も行いました。

特に2000年代半ばにかけて不動産価格が持続的に上昇する中、ローン返済が滞っても住宅を売却すれば返済できるという考えのもと、信用力の劣る層へのローンである「サブプライム・ローン」を裏付けとした証券化商品が積極的に組成されていくことになります。

やがて不動産価格が頭打ちとなり、金利も上昇する中で、過大なリスクをとっていた投資銀行の危機や破綻が相次ぎリーマンショックに至るわけですが、こうして並べてみると、グラス・スティーガル法の廃止、ITバブル後の金融緩和といった要因が、リーマンショック発生の土台になっていたことがわかります。

⑥リーマンショックと金融規制の強化

2006年ごろから不動産価格が頭打ちとなり、金利も上昇する中でサブプライム・ローンの貸し倒れが散見されるようになります。このローンを含んでいた証券化商品は「債務不履行」と同じ扱いになるため、債券の価格は大幅に下落することに。すると、それまで過大なリスクを取っていた投資銀行は損失に耐えられなくなり、やがて破綻に至ります。

一般にリーマンショックと呼ばれるこの出来事ですが、元々の発端は2007年にBNPパリバが住宅ローンを裏付けとする証券化商品の価格急落の影響で、傘下のミューチュアルファンドの解約を凍結したことにあります。これにより多くの金融機関や投資家が大きな損失をこうむることとなり、また、証券化商品の市場崩壊が進みました。

2008年に入ると大手投資銀行のベアスターンズが破綻し、JPモルガンに救済合併することに。その後に危機に陥ったのが当時米国第4位の規模であったリーマン・ブラザーズで、やはり2008年9月15日に破綻に至ります。破綻を免れた金融機関も危機的な状況におちいっており、たとえばメリルリンチとバンク・オブ・アメリカはやがて統合することとなります。

リーマンショックの影響は世界に波及し、世界金融危機とも呼ばれる経済ショックに発展することに。米国FRBは2008年末にゼロ金利を導入するなど、強力な金融緩和により回復を試みますが、2011年には欧州の信用不安が起こったこともあり、不況は長期化することになります。

金融当局では金融危機の再発を防ぐべく、2010年以降さまざまな金融規制が導入されることになります。グローバルには「バーゼル3」という金融規制が整備、その後施行に。大手金融機関の自己資本比率の条件を厳格化し、また劣後債による損失吸収の仕組みなどが整備されました。厳しい経済環境でも破綻しにくいバランスシートの構築が目指されたのです。

米国内では、ドット・フランク法において銀行業による過度なリスクテイク、特に自己資本を投じた市場取引の制限やヘッジファンドへの出資の制限などが行われました。過剰なリスクテイクがリーマンショックを引き起こしたとの反省から、銀行の市場取引に対する規制を強化したのです。

ちなみに、リーマンショック以降の米国では、何度かグラス・スティーガル法を復活させるという議論が巻き起っています。しかし、預金保護の制度が確立されていることや、すでに総合金融機関が複数存在する中で、銀行・証券が別々にビジネスを行うことがかえって非効率を生むとの考え方から全て見送られています。

⑦歴史に見る投資銀行のリスクと将来性

テクノロジーが発展する中で、金融市場部門における投資銀行部門のビジネスは極度に高速化。ミリ秒単位で電子上でのトレードができる世の中となり、トレードに伴う取引コストが極端に低減すると同時に、投資銀行の1トレードで得られる収益もごくわずかなものとなっています。

資金調達やM&Aアドバイザリーなどのプライマリービジネスも、リーグテーブル重視の風潮の中で、ディール数や規模を競う分、手数料の過当競争が進んでいます。

過大なリスクを規制する仕組みは出来上がったものの、プライマリー部門・マーケット部門双方で薄利多売な状況となる中、結局は大手で資金力・資本力のあるグローバル金融機関が成長することに。規模の大きい総合金融機関が優位に立ちやすい構造は、実はリーマンショック前とさほど変わっていません。

過去の危機を見てみると、共通しているのは何らかのバブルが契機となって発生していることです。実態の価値やリスクに対して金融商品や資産が過大評価されて高騰し、最後には暴落して巨額損失を引き起こし、投資家や金融機関が危機に陥るという構図です。

2010年以降の米国は、2016〜2020年初頭を除いてゼロ金利や資産買い入れなど強力な金融緩和により資金調達しやすい、リスクテイクしやすい市場環境が長期間続いていました。しかし、2022年に一気に金融引き締めが進み、金融機関の市場環境は急激に厳しくなったと言えます。

3月以降に相次ぐ米地方銀行の破綻の遠因は金融引き締めに伴う金利急騰にあり、実はこのような金融環境の変化と無関係ではありません。実態を伴わない価格の暴騰を意味するバブルは、えてして弾けなければわからないものです。リーマン以降の金融緩和とその後の急速な引き締めが、これからの金融セクターや投資銀行ビジネスの悪化要因となるリスクを慎重に見ておく必要があります。

他方、投資銀行においては新たに発展しつつあるビジネス領域もあります。たとえば2010年代後半以降は、SDGsやESGに対する投資家、企業の注目度が高まり、金融の世界でも環境保護や社会貢献を目的としたファイナンスやM&Aが拡大しています。投資家においても社会に貢献する企業や資産への投資を積極化させる中で、グリーンファイナンスやSDGsを推進するための資金調達ディールは拡大傾向です。

また、暗号通貨の発展が投資銀行における投資・トレーディングのツールや、資金調達におけるビジネス機会を拡大する可能性もあります。資金調達の世界では、トークンと呼ばれるデジタル権利証を発行して、暗号通貨を調達する「ICO」という手法が発展しつつあります。投資銀行には、こうした新技術を活用した資金調達の普及を後押しする役割も期待されているのです。

⑧投資銀行の歴史から得た教訓をビジネスに活かしていこう

投資銀行が銀行から分化して一世紀強が経過しました。その間に幾つかの経済ショックの遠因となった一方で、株式や債券などによる直接金融の資金調達の拡大や、有価証券投資の普及に大きな貢献を果たしてきたことも確かです。

過去は経済ショックが起きたときには、当局の規制強化や投資銀行内の淘汰を経て乗り切ってきました。経済ショックの裏には「バブル」という資産価格の実体なき暴騰があるものの、バブルの発生経路は毎回異なるため、次のショックの発生タイミングや発生要因、ダメージを受けるセクターの予測は困難な部分があります。

その中で投資銀行を営む金融機関は、いざという時のリスクをマネジメントしながら、ビジネスを成長させていくことが求められるのです。

投資銀行への就職を考えている人は、過去の経済ショックの原因と投資銀行に起きた変化を教訓としておさえておき、自分がビジネスを行うときに役立てていきましょう。

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「投資銀行」とは何か?わかりやすく解説【種類から存在意義まで】
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今回の記事では、投資銀行の歴史について概要を解説しました。

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