こんにちは。
先日、東京アースライドにゲスト参加されていた、別府史之選手が
ランス・アームストロングが2010年に立ち上げたアメリカの新チーム、
ラジオシャックへ移籍するというニュースが入ってきました。
このニュースを見て、自分がこの目でみた別府選手がアームストロングと
同じチームで戦うと思うと、とても興奮しました!
という私の興奮はおいておいて
皆さんは『ランス・アームストロング』をご存知ですか?
人生の最悪の時を乗り越え、前人未到のツールドフランス7連覇を達成した
まさに、『生きる伝説』です。
年齢は今年38歳と私と同じ歳なので、とても刺激を受けます。
アームストロングの人生をお話ししますと、
まず、16歳でトライアスロンのプロとしてデビュー。
その後、20歳で自転車のプロの世界へ移り
21歳で初勝利し、早くから将来が期待されていました。
順調に結果を残し世界が期待していた25歳に『癌』が発祥。
発見当時、既に肺と脳にも転移しており、生存確率を50%と伝えられましたが
本当は20%だったとも言われています。
現役復帰を望むアームストロングは過酷な化学療法を実施し、
回復していきました。
しかし、所属チームからは再起不能とみなし解雇されてしまいました。
その後、28歳に新チームでプロに復帰し、翌年にはツールドフランス総合優勝。
それから圧倒的な強さで7連覇を果たしました。
一旦、引退しましたが、今年復帰し、
早速、ツールドフランスで総合3位になりました。
そんなアームストロングを支えた母の言葉は下記です。
『無駄なことはなに一つない、あらゆることを利用しなさい、
昔の傷や屈辱は張り合うエネルギーのもとになる。』
(「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」より)
そして、アームストロングは自分の自伝の中で下記の言葉を語っています。
『病気は僕という人間を、屈辱的なまでに素っ裸にし、
僕は容赦のない目で自分の人生を振り返ることを余儀なくされた。
「もし生き残れるとしたら、いったいどんな人間になりたいのか。」
断言していい。
癌は僕の人生に起こった最良のことだ。』
(「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」より)
苦しいときにこそ、人間は成長するのかもしれません。
今の時代に通じるものがあるような気もします。
今後も、アームストロングや別府選手を応援していきたいと思います!!
<年表>
92年 プロ転向
93年 ツール・ド・フランス1勝
95年 ツール・ド・フランス1勝
96年 癌が発見される
98年 レース復帰
99年 ツール・ド・フランス総合優勝
00年 ツール・ド・フランス総合優勝
01年 ツール・ド・フランス総合優勝
02年 ツール・ド・フランス総合優勝
03年 ツール・ド・フランス総合優勝
04年 ツール・ド・フランス総合優勝
05年 ツール・ド・フランス総合優勝
06年 癌撲滅チャリティーの為にニューヨークシティマラソンへ出場
09年 現役復帰
ツール・ド・フランス総合3位