私がまだ小学校の低学年だった頃の話です。
野外授業とかで、近所の公園に連れて行かれました。
地域の草花を観察でもするのか、なんて思っていましたが、
公園に着くなり、先生はこう言いました。
「しっ。静かにして!みんなしゃべらないで静かにして!」
それまで、思い思いの友達とワイワイ騒いでいた小学生たちは、
突然の先生の「静かにして」という言葉の魔術に、
波が引いていくかのように言葉数を減らしていきました。
誰も、何も話さずに。
「目をつむって」
僕たちは素直に先生の言葉に従いました。
誰の存在も気配も感じない、ただ静寂だけが周囲を包み込みます。
…どれくらいの時間が経ったのでしょうか。
永遠の時が自分を包み込んだのではないかと思えた時、
「はい、目を開けて。しゃべっていいよ」
という言葉が静寂を破りました。
そして、先生はゆっくりこう言いました。
「今、目を閉じていた時に聞こえた音、
何でもいいから画用紙に書いてごらん?
どんな音をどんな風に表現してもいいからね?
ただ、友達と相談したらダメだよ?」
みんな素直に、思い思いに聞こえた「音」を書き始めました。
「ぶーん」
「ぶろろろろ」
「わんっわんっ!」
……。
教室に戻り、画用紙に書いた”音”を集めると、
先生はそれらの”音”を黒板に書き出し、
ゆっくりとした口調で話し始めました。
「みんな、同じ場所で、同じように静かにしていたね。
でも、聞こえる音は、みんな違う。
同じ音を聞いていたかも知れない。
でも、表現は違う。
人間はね、この世で一番偉そうにしているかも知れない。
でもね、ホントはちっぽけな存在なの。
みんな、聞こえる音は全部書いたと思ったでしょ?
でも自分には聞こえなかった音を友達は聞いてる。
一人の能力なんて、たかが知れたもの。
人間はね、自分の能力がちっぽけであることを知って、
みんなで協力して生きていかなければいけないの。」
多分、これまでのどんな授業よりも、記憶に、心に残っています。
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「人のつながり大切にすること」
これが私の一つの「軸」となっている考え方です。
自分自身の能力が大したことない、ということを知ること。
そして、それを補完するには、自分の持っていない能力を持った人とつながること。
「転職」への示唆というよりは、「人生」の糧として、心に留めています。